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2019/05
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続・続 二宮 忠八
続・二宮忠八翁の書いたその日に
丸亀市の1月の広報がポストの中に届いておりました。
パラパラと、めくり進むと、
広報の最終ページの『ふるさとウオッチング』のコーナーに
【大空を飛ぶ夢が現実に 飛行機の出現】
という見出しがあるではないですか!

あまりの偶然に、ちょっとびっくり!

で、続・二宮忠八の所で、
まほろばさんがコメントくださったことへの
お答えとして、広報の記事を一部載せさせていただきます。

広報まるがめ1月号の担当者さん、私にとってとっても
タイムリーな話題を書いて下さって、感謝しています。(お辞儀)
ここからは、広報誌の分を、抜粋して載せさせていただきます。

『      ・・・・・・・   前文略   ・・・・・・・

 一世紀余り前の丸亀で大空への夢を描いていた青年がいた。
 彼の名は二宮忠八(ちゅうはち)。愛媛県八幡浜市出身で、
 丸亀の歩兵第十二連隊看護兵だった。
 
 明治二十二(1889)年十月、財田からの演習の帰途、
 今の国道32号樅(もみ)の木峠での昼食時にカラスが残飯を求めて
 滑走する姿を見て、飛行機の原理を研究し始め、
 「カラス型模型飛行器」を作る。
 動力として聴診器に使ったゴム管のねじれ回復力に注目して
 ゴムひもを使った。

 飛行実験は丸亀練兵場(今の東中・大手前中・高校の敷地)で
 明治二十四年四月に行われ、自力で滑走して十メートル飛んだ。

 カラス型では方向転換ができなかったので、二年後に二重翼の
 「玉虫型飛行器」を作り、下翼を上下させる事で可能となった。

 資金や人材を調達するため、何度も軍の上層部に上申書を
 提出したが却下された。
       
       ・・・・・・・   後文略   ・・・・・・・            』

その後、彼は京都に移住し、製薬会社に勤めながら資金を蓄え、
人間の乗れる玉虫型の飛行機を作りオートバイエンジンを取り付けようとした
矢先、ライト兄弟が初飛行に成功したそうです。

顕彰碑に書いてあったのですが、
忠八の軍当時の上司が、ライト兄弟の初飛行を知った後、
彼に謝ったのだそうです。

で、まほろばさん、広報を読んで、有人飛行というところに、
 「人力による」とつけるべきだと、気がつきました。
相変わらず、言葉足らずですみません。
Secret
(非公開コメント受付中)

樅の木峠
 国道32号線、樅の木峠手前に道の駅があって、そこに「飛行神社」という神社に、その飛行機の模型とか忠八翁の銅像もあります。

 また、近年、資料館もできて、ときどき、そこをのぞくのですが、なんか・・気の毒な人というか、不運な人というか・・・だなと思っておりました。

 運のいい人、悪い人って、いるものですね。
そうですね。
まほろばさん、私も運の悪い人だと思います。
どんなに優秀な人でも、人との良い出会いが必要なんですね。
レバタラは、言っても仕方ないのですが、良い理解者がいたら、 
彼の人生も大いに違っていたでしょうね。
プロフィール

しわく

Author:しわく
創業明治34年
今4代目が
「うまず・たゆまず・あせらず」を、
モットーに、元気にお仕事しています。

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